幼児化が進む社会

ホントに日本社会は幼児化が進んだと思う。便利になったと言えば聞こえはいいけど、つまるところ幼児化ではないのかと。今日、スーパー銭湯のサウナでテレビを見てたら「液体味噌」なる商品のCMがやってた。なんでも湯に入れるだけですぐ溶けるのが売りだそうだ。味噌汁作るときに味噌を湯に溶かすのが面倒だと思った事がなかったので少し着想にはビックリだったが、これが売れてるらしい。

なんでも手間いらずで出来る商品が増えた。便利になったのと同時に思考するとか手間をかけるということがドンドン必要な事でなくなる。企業はニーズに応えるだけだけど、それでいいのかとも。まぁ仕方ないっちゃ仕方ないんだろうけど。ただ、良いものが駆逐されているような気がしないでもない。効率化という名の下に本当に大事なものが失われているような。味噌の話は単なる一端ですが。

好きとか嫌いとか、当たり前の感情をストレートに表現することが必ずしも良いことかどうか。当方サラリーマンなので思うんですが、気の合う人とか自分の事を理解してくれていると感じる人とかしか付き合わなかったり、接しようとしなかったりする人が増えているような気がします。要するに居心地が良い方に流れて現実逃避にも似た行動を取る人が。プレッシャーとか威圧とかそういうものに極端に弱い人が。

とにかく、自分が苦しい事とか辛い事が目の前にあるとそこから遠ざかろうとする。まぁ人間ですから防衛本能が働いてそうなる事はありますが、何でもかんでもとなると違うだろうと。そういうものを跳ね返す力もないし、耐性もない。極端な場合は辞めたりするし、だいたい自分が圧力を感じる人と接しようとしない。話をしてもぶっきら棒で聞いてるのか聞いてないのかわからない。自分にとって耳の痛いことはとにかく聞き流したり、排除しようとする。そこを意地でも克服しようとするだけの力がない。

だから周りからは迫力に欠けたり頼りなく見えたりする。上司と話してる時にはどうしようもない奴なのに、気の合う人と喋る時には別人みたいに生き生きしてたりする。誰でもあることでしょうが、とにかく自分本位過ぎると感じます。自分は別にその人に評価されたり認められなくてもいいと会社とか社会の構造をまったく無視した行動を取る。とにかく自分の居心地が良ければそれでいいという考え方。例によって自分の部下なんですが。

とにかく、助けてもらいたい時だけしか話をしてこない。それでいて助けてもらっても「それが当たり前」という態度。少し叱責されると不貞腐れるか、現実逃避を始める。そんな奴のどこを評価しろと?どこを認めろと?(笑)そういう態度だから仕事が教えてもらえない。出来ない奴だという評価が定着する。それでも現実を認めたくなくて気の合う人に仕事のやり方を教えてもらおうとする。「何で俺に聞かない?」と言われても「お前には聞きたくない」と態度が雄弁に物語る。結果、勝手にしろと放置されて更に出来ない奴になっていく。

それは自分の言動が招いた結果だと考えず、教えなかったあの人が悪い。俺がこんな状態になってるのはすべてあの人のせいだと。思ってるかどうかは知らないけど態度がそう言ってる。「やる気ないんだったら辞めたら?」思わず言った一言にも「お前とやりたくないだけだ」と目が訴える。もうその幼稚さに付き合いきれないと思う今日この頃。当方もそんな時期はありましたから、ある程度の理解はあったと思うし歩み寄った指導をしたつもりだったんですが、それが彼を勘違いさせる結果になったのかもしれない。まぁ最初からそうだったと思えばそうだったかもしれないけど。

一つ仕事を手伝えば、もう手伝ってもらえるのが当たり前。自分が休んでる間に施策を進めておいて欲しいときたから、「自分の仕事は自分でやれ」と言ったら、無言で立ち去り何やら文句を言ってるらしい。さすがにカチンときて

「お前、いい加減にしろよ。辞めるか?別にいいぞ。明日から来なくて。辞めさせる権限はないから、お前が辞めないなら俺が辞めるわ。お前なんかと一緒に出来るか!」と言ったまでは良かったが、それだったら俺も同じか?とか思ったけどさすがに今日は溜まってた鬱憤が噴出してしまった。多分帰って親に散々愚痴ってるんだろう。

当方ならとっくに辞めてるだろう状態でも辞めないって神経太いのか無神経なのかよくわからない。最近のゆとり世代は手強いと聞いてきたけど、それを身をもって実感してる次第です。まぁこんな事なくても当方はそろそろ辞めるかもしれないけど。

ターミネーター4

また映画を見てしまった。今回はターミネーター4。実は真夏のオリオンとどっちか悩んでたらオリオンがチケット販売終了してしまったのでタミネタへ。いつもの如くレイトショー1200円。スクリーンに入ると俺一人。予告が始まっても俺一人。もしかして俺一人の為に上映するの?申し訳ないなぁ・・・とか思ってたら本編始まる直前くらいにゾロゾロと10人くらい入ってきた。サクラ?

一応、シュワちゃんバージョンは3作とも見てるので内容はわかってますが、なんか2から焼き直しの連続みたいな感じだったのが受け継がれてるというか。主人公が自分の親父を助ける為に頑張って、その助けられる親父は何故か主人公のいる時代にタイムスリップしていて、その親父やらを助ける為に未来からターミネーターがやってきてみたいな頭ゴチャゴチャになるような設定ではなかったので比較的楽に見られます。

まぁ典型的なハリウッドのアクション映画。基本的には続き物ですが、前作なんか知らなくても4に関してはまったく問題ないというか。終わり方からして5作る気なんでしょうけど、勝手にしてください。そこそこ当てられるシリーズである事は証明されてるのでいいんじゃないでしょうか。久しぶりに良くも悪くも内容についてあれこれ言うことのない映画を見た気がする。

天職とは何か

世の中不況不況とあまり言わなくなりましたが、それでも企業は儲ってないし経済も上向いてはいないようで。新型インフルエンザとか色々マイナス要因もあるにはありましたけど不況はまだまだ終りそうにないという感じがします。で、表題。この不況で職があるだけありがたいと思わないといけないのかもしれないんですが、「自分にとって天職とは何か」という事をずっと考えています。

ちなみに、当方は今までいくつかの職に就きましたが未だ天職だと思える仕事はないわけで。まぁそりゃ30手前の若造にそんな事を悟れるほど簡単なもんじゃないんでしょうが、若ければ若いほど何かに夢中になれるものではないかと思うわけです。しかし、当方は「何か」に夢中になったことが未だにないわけで。その夢中になれる「何か」を毎日探して考えているわけです。

年配者には「物事は10年やって初めて一人前になる」とか「好きな事で飯が食えるなんて一部の限られた人の話だ」とか「とにかく何も考えず働け」とか言われますが、まぁ言わんとすることはわかる。社会とはそうやって何も考えず働いてある程度経験を積んだ人たちによって形成されていることは。所謂サラリーマンといわれる人たちがそうなんでしょう。そして当方もそのサラリーマンなわけだからそうあるべきなのかもしれない。

でも、どっか満たされない。お前なんか満たされなくていいんだと言われるのはわかってますが、やっぱり満たされたい。それにはリスクを背負わないといけないのは薄々わかっちゃいる。いずれはそのリスクを背負って動こうと思っているけど、タイミングというのがある気がする。そのタイミングが目の前に来たときに掴める準備だけはしておきたい。もしかしたらタイミングは既に過ぎ去ったのかもしれないけど・・・

当方としては、3年後をタイミングと考えています。まぁ個人的な色んな理由とかあるんで3年後なんですけど。身の回りがキレイになる予定のその時には会社をドロップアウトするかもしれない。なんか異端者志向というか人から理解されない生き方を欲しているような気が自分で自覚し始めている。「あいつは何を考えてるかわからない。バカだ」と常識では測れないところへドロップアウトする事で何かが生まれるような。まぁそれなりに社会的地位もあるし、社内での序列もある程度認められていると言っていいと思う。だからこそドロップアウトしたくなる。やっぱり破綻者だ。鷲津巌に「狂人めが!」と言われるほど狂ってると自分でも思う。

そうやって一瞬一瞬を真剣に、時には物凄くいい加減に生きる事で明日死んでしまっても悔いの無い人生を生きたいと思うようになった。その為には家族を持ちたいと思う欲は捨てること。子供が欲しいと思う欲は捨てること。それは物凄く孤独な事かもしれないけど、自分の欲する生き方を貫きながら迷惑を最小限に抑える為には必要な事かもしれない。そう、3年後当方はもしかしたら結婚しているかもしれない。そうであれば、自分である事を捨てたということかな。精神的出家をしてしまった状態だろうな。多分、結婚という選択をした瞬間俺は実質的に死んだも同然になるだろう。

こんな事書いてると、同棲中の誰かに「ばっかじゃないの」とか言われそうだ。まぁ四六時中「バカだバカだ」と言われているのでもう慣れた。相手も結婚は望んでいないようなので幸いだと思っている。今はなんとなく一緒にいて、共同生活してるけどいつか終るものだしその時まではなんとなく続くんだろう。既に共同生活5年目だし、その辺は多分お互い割り切ってるはず。なんか30を迎える現実と向き合うと下らない事ばかりが頭に浮かぶ。いやぁ若いな。若い。俺もまだ青春してるわ(笑)

自分は仕事が出来ると思っている人

仕事のことを書くといつも愚痴になってしまうのが悪い癖というか、いつも反省しているんですがまだまだ未熟なのだと開き直るわけです。さて、表題。自分は仕事が出来ると思っている人はどこの会社に行っても一部署に必ずいると思います。周りからもそう評価されている場合と勝手にそう思い込んでいるタイプとがいる。どっちでもいいんですが、こういう人と仕事をするのはやりにくいもの。

何しろ、プライドが高く自信家。少しでも意見を言おうものなら聞かないか反発するか。そして特徴的なのは社内の序列が頭にないので下であろうが上であろうが最初から自分より下位に置いて見下す癖があるのもこのタイプに多いのではないかな?自分は要領がいいから出世出来ると思っているから表面上は上に対して良い顔ばかり。取り入って出世しようという意図がありありなわけです。

まぁ男なら出世欲があっていいと思いますけど、それが前面に出過ぎて調和を乱したり自我を通したりしがち。ポストというのは限りがあってそのイスにはある程度ですが座る順番が決まってるもんです。要するに順番抜かしがしたいから暴走がちになるのも仕事が出来ると思い込んでいる人の特徴でしょうか。仕事がうまくいかないと「上が悪い」「こいつが働かないから」そんな発想になるんでしょう。

周りが数字を上げると「こいつとやってると自分の評価まで下がる」なんて考え出すようです。だからそれだけは回避しようと「自分はやってますよ。やってないのはあいつです」と周りにアピールを始めます。まずは同僚に、次に直属上司を飛び越してその上へ直接訴える場合も。もちろん口で言うだけではなく、何らかの自分に有利な情報なり材料を提示して説得しようとするわけです。「数字が出ないのはあいつのせい」だと。

ただ、社内で上司批判はよほどのことでない限りしてはならない。これは日本の会社組織の不文律です。これをするなら不退転の決意を持って(要するにうまくいかない場合は退職するくらいの覚悟で)実行するべきではないでしょうか。こういう問題を提起されると聞いた方はほとんど聞き流す事はありません。それは周到に材料を用意すればするほど。そうなれば批判の対象に事情聴取を始めます。「こんな話が出てるけど、どうなんだ」と。

ここで重要な事は、聞いた方は間違いなく批判側の意見を一方的に聞き入れるわけではないということです。必ず双方から話を聞いて問題点を洗い出そうとするはず。そこで困るのはむしろ誰かを批判する方です。多分批判された方は事実であれ気分を害するはず。相手が感情的になって反論してくれば最悪の事態になりますし、相手が冷静に自分の非がある部分を認めつつ自分の言い分を展開してくれば、今度は反撃される側になりかねない。

それに経験上言えば会社組織なんてのは、常に序列が上の言う事に耳を傾けるのが普通。批判をした側の意見が通る事なんて稀で、上司批判は自分の居場所を狭めるだけという結果になるのがオチ。何故なら、それが問題になったとき批判された上司は「悪かった。以後気をつける」と口では言っても、上司批判をする人間の評価は最悪でこれは余程のことが無い限り回復しないと思った方がいいです。出世する為にした上司批判が逆に出世の妨げになる最悪のケース。

このことが分かってない人って結構いると思う。敢えて言うなら批判された上司が感情的になって明白な業務妨害や嫌がらせをしてくるケースがあれば状況は好転するでしょうが、日本の会社組織ではだいたいの人が穏やかに実にアッサリ自分の非を認め「改善します」と謝ってくれたりするものです。ただ、それはその件に幕を引くだけの事で本質的には何も変わりません。むしろ、評価が下がる分仕事は今まで以上にやりにくくなるはずです。上司批判は言ったときは溜まったものが吐き出される快感に浸れるでしょうが、その後の後遺症は悔やんでも悔やみきれないほど大きい物です。

自分が能力的に勝っていると思っていても、会社が上司と認めた人はあくまで上司。実力主義だと言っても序列まで無視して良いものでない。そこを勘違いしている人がたまにいるんだな。出来る上司でも出来ない上司でも上司は上司。その人に評価してもらうのが出世の近道だという簡単な事が理解出来ない。直属の上司を飛び越えてその上に訴えたところで、その人そのものの評価なんてさほど変わりません。むしろ、訴えた側に対して「非常識な奴だ」という負のイメージしか与えないでしょうし、「こいつを昇格させたら厄介な事になりそうだ」と思われるのがオチでしょう。

会社組織で生きるとは自分の役割を理解することです。評価は周りがするもので、本人がするものではありません。自分の能力だけで何かができる自信があるなら起業をするしかないのでは?なんか「自分のフォローを何もしてくれません。数字が上がらないのはあの人がやらないからです」と言われても「あ、そう」としか思わないんだけど、とりあえず事情くらいは聞かないといけない(要するに事を荒立てなければならない)憂鬱にうんざりする今日この頃。そして当方もそんな批判にさらされてうんざりしているところです。

 

ちなみに「批判された上司」ってのは当方のこと(笑)当方の上司と面談をしていて「まぁお互い様だろうから。でも話に来た以上お前にも聞かないと仕方ないから。コミュニケーション不足なんじゃない?」とか言われてまた面倒が一つ増えたと考えたら白髪が一本増えた気がする。

ハゲタカ

映画「ハゲタカ」(hagetaka-movie.jp)を観た。実は前回天使と悪魔を観た時に予告が流れていたので興味があって公開初日に観るという柄にも無い事をしてしまった。元々はNHKの製作したテレビドラマの映画化とのこと。テレビドラマの方は見たこともなかったので人物相関は全くわからないままのハゲタカ体験。

あらすじは日本を代表する自動車会社アカマ自動車が業績不振で中国系ファンドに敵対的買収を仕掛けられるという感じですか。それに対抗するべくかつてアメリカ系ファンドで日本企業買収でならしたハゲタカが迎え撃つ的な。途中、自動車会社のアホ社長が落ち着かなかったりアメリカの投資ファンドの社長が思わぬ展開に脂汗流したりと現実にありそでないよな映画としては支離滅裂っぷり。

テーマ自体は悪くないけど、映画の出来としては最悪とまでは言わないまでも下らん。まぁNHKだなという感じかな。派遣社員がなんか決起集会みたいなのをする場面で取材するテレビ局の人が「あの企業を敵に回すのはマズイ。あそこからの広告収入がなくなったらうちはやってけないだろ!」とか言う台詞はNHKならではだろうけど、それだけ。

企業買収というテーマにもうちょっとフォーカスした方が良かったというか。あれもこれもとテーマを入れすぎたのかな。あと、下らん人情物語というか浪花節というか冷めるわ。もっとドロドロ汚いもんだろ。会社の売り買いなんて。買う奴が何を考えてたとかそいつの生い立ちがとか正直どうでもいい。そういうのはスピンオフでもやってくれ。終り方もなんだそれって感じで。地球の危機だと思ってたら実は自分の内側にある悩みでしたみたいなレベルのね。

いきなりスケールダウンした感じで。結局は日本を買い叩きにきた中国をブチのめすわけでもなく、奴らは適当に逃げて事なきを得ましたという。最初の敵がどっか行って結局アメリカ叩いちゃいますという持って行き方も気に食わんな。最初の敵をしっかり叩いてナンボでしょ。映画なんだし勧善懲悪でいってもらいたいわ。安くない入場料払ってんだからスカッと終らせてよ。テレビドラマのノリでいかれると消化不良で。まぁ反米親中なのかな?結局最初の中国ファンドvs日本企業っていう構図が最後にはどっかいっちゃう時点でストーリー的にどうなのって感じ。

まぁ期待外れ。もうちょいスカッとするのかと思ったけど、これじゃ映画見たというよりスペシャルドラマ見たって感じしかしない。見に行かれる人はあまり期待されぬよう。

天使と悪魔

仕事が久しぶりに早く終ったので、食事をして一人で映画を見た。映画館に着いた時にちょうど上映時間だったのが『天使と悪魔』CMもやってたし、前作のダヴィンチコードも映画で見たと思うのでレイトショーチケット1200円を払って観た。

率直な感想は面白くも無く駄作でも無くって感じなのかな。正直、キリスト教とかよく知らないし何がなんだかわからないまま映画が終了する。頭で考えるよりエンターテイメントとして見たら楽しめる映画じゃないかな。サスペンスみたいだけどアクション映画だと思って見ると面白いかも。まぁ感動のハッピーエンドを匂わせてどんでん返しというのを狙ったんだろうけど、終った感なかったからもう一波乱は範疇ですが。

なんか、こういうのはキリスト教だから出来るんでしょうね。そのほかの宗教だと一般受けしないというか世界規模で見ればキリスト教が一番ベターなのかなと。イスラムとか色々ヤヴァそうだし。まぁキリスト教は暗い過去もあるし、色々と解釈の仕方とか謎の部分もあったりで映画の題材としては向いてるのかな?そういう要素があるような気がする。表と裏というか、まぁそういう隠されたというか憶測を呼ぶ部分が映画のテーマとして使いやすかったりとか。

これを神道とか仏教とかでやっても、題材的にアクション風のものを作るのは難しそうだし。宗教ってのが難しいのかね。新興宗教は一杯あっても古い宗教ってのは神道と仏教くらいだろうし。この映画で観るキリスト教って、古くからあってホントに宗教だなと。これに比べりゃ新興宗教で出てくる亜流みたいなものは傍流とも言えるのかどうか怪しいんじゃ?なんて思ったり。仏教の亜流も然りですが。

宗教に惹かれる人のキッカケは人それぞれでしょうが、神秘性というかそういうものなんじゃないでしょうかね。単純に満たされるとかそういうものを超えたものというか。当方はその意味ではキリスト教本流も亜流も仏教それぞれも同じではないかと。修行系のもので達成感を味わうものから、信じるだけでいいものまで色々あるみたいですが、人間は所詮何かにもたれないと不安になるものなんでしょう。拠り所というかそれが人か物か金か宗教かみたいな違いで人はみんな同じなんだと。もたれかかるツールが違うだけで。

そんな事を『天使と悪魔』を観た後に考えてました。また小難しくなったな・・・まぁ単純にアクション映画として面白いですよ。製作者がアクションなのかサスペンスで作ったかわからんですが(笑)ただ、もうちょい考えさせる系なのかなと思ってたので当方は肩透かしを食った感がありました。まぁ映画としては面白いですよ。デリケートなところは避けつつ面白いものにした手腕は評価すべきですよ。前作で色んなところからクレーム来て大変だった教訓が生かされている感じで(笑)キリスト教知ってるともっと面白いんだろうけど、知らなくても単純にアクションとして面白いです。うん。

日本もさっさと核武装しろ!

北朝鮮が地下核実験をやった。もう我慢する段階じゃない。言ってわかる相手じゃない事は明らかになったわけだから日本も対抗して核武装するべきだ。自衛隊も国軍として整備して敵地攻撃能力を保有すべし。国民の安全を担保できない政府は必要ない。近いうちに総選挙があるが、ここで民主党に政権を渡すわけにはいかない。自民党じゃダメなことはわかっちゃいるけど、民主党に任せるよりはいい。

北朝鮮を叩き潰せとは言わないけど、現体制があの地域をコントロールする事を容認しないぐらいのことは言うべきではないかと思う。アメリカに何を言われようが、中国が何を言ってこようが日本は断固として重武装化を進めるべき。それで多少経済が悪くなっても国際的比較で国力が落ちても仕方ない。国家を守る事が先だから。重武装したからといってそれが軍事政権だの軍国になるわけではない。

そもそも、軍最優先の国家など国民の誰もが求めてないし、当方も求めてないどころか真っ平御免。ただ日本が日本足り得るだけの実力と抑止力は持つべきだと思う。日本が日本人の国であり続けること。それを守る事が税金で飯食ってる公務員と代議士の仕事だろう。日本人の利益のために働くからこそ税金で給与が支払われてるんだから。

北朝鮮が核実験したと聞いて腹の底から怒りが込み上げているわけです。でなきゃ日本人としておかしい。隣で物騒な事をされて怒らない方がおかしい。まぁ冷静だと言えば聞こえはいいですが、日本の現状からすれば国民が怒り心頭に達して日本を変える方が先決だろうと思うので、悠長に構える日本人を見ると危機感を抱かずにはいられませんな。怒れよ!日本人!

雰囲気を変える人と影響を与える人

どうも最近は堅いエントリーばっかになってしまうな。とは言ってもこのblogは当方の頭の中というかそういうものが具現化されているようなものなので、小難しいことばかり考えてるとそんなエントリーばかりになってしまう。それは仕方ないことで読んでもらいたくて迎合するような形で時事ネタを取り上げても疲れるだけで、検索かけてたまたまかかったから何の気なしに読んでみたなんて人がいたらそれでいい。blogを公開するという事は読まれることを前提にするのだから読まれること自体は嬉しいわけで。

で、部署内で全体ミーティングというか会議があった。まぁ毎度の事ですが、重苦しい雰囲気になったりしてみんな大変疲れた。不況下でもあるし、経費削減だの売上アップだの本社やら事業部から降りてくる施策がどうだのまぁ色々。みんな色々ノートやらメモ帳やらに色々書いてるが何を書いているのかいつも気になる。まぁ当方と大差ないだろうけど、それを後で見返したりしてるのだろうかと。ちなみに当方は見返したことは一度もない。まぁミーティング前に暇だから以前のものを読み返す程度。書く事といえば自分が喋る側になる時に使いまわせそうなことばかり。

業務上の指示事項なんかは一応書くけど、毎朝朝礼で耳にタコだし見返したりする必要もない。そんなわけだから全体ミーティングなんて必要ないじゃんと皆が心の中で思っているけど毎月やる全体ミーティング。まぁ内容さえ見直せば必要なんですけど。そこで現場幹部から出る言葉は毎月同じで耳にタコでしょうと。一般社員は当然のことですが、当方のような末端監督職にとっても退屈で仕方ない時間でもあって。言ってる事が頭の先からつま先まで自己利益追求の匂いがプンプンですよ。

まぁそれが企業であって、当たり前の風景だと思いますが。「物売りなんだから売って当たり前だ」といわれても、うちの会社の利益がどうやって出てるか知ってる者にとっては「いや、お前数字が上がらないとてめぇの査定がヤヴァイことになるだけだろ」と思うから、尤もらしい事を言ってると思ってるのは本人だけという大変痛々しい状態に。ましてやてめぇの査定の為に動き回るのが自分の役割かと思うと下を向いて暗い気持ちに。

まぁそれは組織の一員として仕方ないことだと割り切ってるのでいいんですが。今の会社だけでなく数十人の上司と仕事をしてきて感じることがあります。それはみんな例外なく共通するのは自分色に染めてやろうとする意識をみんな持っているということです。もちろん、自分が管理する集団を自分色に染めようとするのは当たり前のことなのかもしれないですが、そこで思ったことが一つ。それは雰囲気を変える人と影響を与える人の二種類いるなと。だいたいが前者で後者はなかなかいないですが。

どういうことかと言うと、解り易い例えかどうかは定かでないですが学校のクラスのような3~40人単位の集団の中では必ず誰かが主導権を握るものです。まぁクラスのリーダー的なやつですね。それはクラスが出来てしばらくすると固定化されていくものですが、大勢が決まるとみんなそれぞれのスタンスを取るようになりますよね。存在感を薄れさせたり、積極的に関わって自分の居場所を居心地のいいものにしようとしたり、または対極に立って別なグループを作ったりと。しかし、それは一時の雰囲気で主導権者が消滅したり変わったりするとリセットされるわけです。

本人が雰囲気の中心にいるときは、まるで集団そのものが一纏まりになっているように見えますがそれは雰囲気を支配してるに過ぎないと。会社内の部署も同じで一度その本人が消えると無かったことのように雰囲気というのは変わるわけでして。箍が外れるという言い方がありますけど、まぁそのようなものです。次の主導権者に合った雰囲気というのがまた醸成されていくというその繰り返し。それはあくまで雰囲気を変えるだけで、有形無形の影響力によって自動的にというか。本人の能力というより肩書きだったりそういうバックボーンによって出来るものだったりします。

ただ、影響を与える人というのはその本人がどこか別のところへ行ったとしても継続的に他人の行動とか思考に関与する能力がある人の事です。こういう人に出会えたら幸せだろうと思います。仕事の能力云々というより、これはもう人間力というか人生経験とか生まれ持ったとかそういうところからにじみ出る能力なので男には股間にチンコがあって女には穴があるというくらいに誰でもが持っているものではないわけで。こういう人に出会える事を人生の目標にするし、また自分もそうありたいと向上心を持つわけですが。

ちょっと前に「俺がいなくなってミスが多いらしいな。やっぱ俺がいなきゃここはダメだな」みたいなことを聞きましたが、こういう人は自分が如何に優秀であるかを誇示したかったか自己陶酔に浸ってたかのどちらかでしょうが、自分なら「あ~やっぱ俺は雰囲気を支配しただけで、影響は残せなかった」と打ちひしがれると思います。恐怖心とか功名心を上手く使って雰囲気を支配してただけだったかと。俺がいなくなれば俺の考えなんてぶっ飛んでしまうのかと。まぁ企業というのはそういうものなんですが。

いるんだな。言いたいことはよくわかる。そうだ、君はそんな事無理だってわかってる。でも言わなきゃいけないから言ってるんだろ?その辛い気持ちはよくわかる。でもその言い方じゃ伝わらないよ。その方法じゃ動かないよと思う人が。よくわかる。自分がそうやって教育されてきたから同じ方法で指導して何が悪いそれしか出来ないと。でもやっぱ時代を読まないと。もうそういうやり方で誰もついてこない事は痛いほど経験してきたはずじゃないか。それでもまだそこから学ばないか?

下に意識を変えろというのは容易い。でも、自分は変わろうとしてるか?変わる必要がないか自分は絶対正義だと思い込んでるのか。トップダウンで物事を進めすぎると必ず瓦解するんじゃないのか?そうだ。組織で生きるにはトップダウンに従うのがいいんだ。でもそれじゃ人はついてこないんだ。笛を吹いても踊ってくれなきゃ結果は出ない。そこをよく考えろ(笑)時には自分が苦しんで下を変える為に上を変える努力をしたらどうだ?意識を変えて(笑)

先に書いたが、肩書きを免罪符に笛を吹けば踊ってるふりはしてくれる。本当に踊ってくれてるかどうかだ。まぁそんな事は結果さえ同じならどうでもいい事なんだけど、決定的に違うのは根っこを押さえてるか押さえてないかでここ一番で差が出ると今は思っている。当方は常に場の雰囲気を変える人でなく人に影響を与えられる人になりたいと思って生きていたい。我ながらナルシストな文章になって正直スマン。

ごく当たり前の事が言えるか言えないか

せと弘幸という人のblogがある。この人は維新政党新風という政治団体の副代表だそうだ。新風は参院選などに候補者を擁立したりしている保守政党。本部は京都にあり、参院選では新風の候補者が京都市内で演説しているのを仕事中に見たりもした。このせと弘幸さんも確か出馬されていたはずです。

京都新聞だったか読売新聞だったか忘れましたが、参院選のときに候補者が集まった座談会みたいなものを紙上でやってたのを見ましたが、毅然と言うべきことをハッキリ主張しているなという印象から新風という政党には関心を持ち見ていました。それがキッカケでせと弘幸さんのblogはたまに読んでいるんですが、当たり前のことをハッキリ言える人という点で尊敬すらしています。

で、5月6日のエントリーで「不法滞在者の児童予備軍と支援団体(blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52232504.html)」というタイトルで不法滞在者の子供たちの問題を取り上げておられました。当方は全くこのせと弘幸さんの主張に賛成なのです。法を犯しておいて「堂々と日本で暮らしたい」なんてふざけるのもいい加減にしろと。堂々とは盗人猛々しいというか立場を弁えろと言いたい。不法に滞在しているのだから排除されて当たり前だろうと。

情に訴えて、法律を無視するなどもっての外で認めていいわけがないんです。普通の日本人がこんな記事を見て同情心を持つ事は当たり前であると思いますが、法律を執行する側がそのような感情で法律を捻じ曲げて良いということとは別だと言いたい。元々人種差別とか偏見というものとは関係のない事で、不法に入国している段階で日本の法律に背いているわけですから国外に追放するのは当たり前な事なわけです。

彼らが日本語しか喋れないとか生まれた時から日本にいたからというのは関係ないことでしょう。正規の手続きを踏んで入国しているのでないから国外へ追放されるのでしょう。勝手な都合で例外を認めるなんて言語道断あり得ない。不法滞在者を擁護する連中は国内の治安を悪化させ、国益を損なう事がわからないのか、わかっていて確信的にやってるのかのどっちかでしょう。

憲法を守れと言ってみたり、不法入国者に在留許可を与えろと言ってみたりと左翼と定義される人の言う事は支離滅裂というか日本が法治国家である事を知らないのか、その二枚舌ぶりには呆れるし情緒不安定なのではないかと心配してしまいます。何にしろその主張が反国家的なもので貫かれているようで違和感を感じますし、呆れるばかりで。

このせと弘幸さんは「行動する保守運動」というものを掲げて数々の街宣活動などをされているようです。その動画などもyoutubeやニコニコ動画なんかで何度か見たことがありますが、主張を街頭に出て堂々と主張される様は尊敬します。誰でもが思ったり感じたことを社会的に違和感を与えるような表現であっても正しいものは正しいと言えるその自信に裏打ちされているような態度には共感するところ大だなと思っています。

当方も含めてですが、日本人が社会問題に対してもっと感じたことを素直に表現できて言うべきことを言えるようになればこの国は変わるのではないかと。それともせと氏の主張が少数意見で大多数の考えは違うものなのでしょうか?当方はせと氏の主張は全く正しいと思いますが。まぁ人それぞれなんですかね。感じたことを感じたままに表現できる。それは日本人に一番必要なのに欠けた能力ではないかとせと氏のblogを読んでいていつも感じることです。

会社員としての資質

ここんとこ、色々と仕事のことで悩みがあるというか。まぁ煮詰まってる状態です。うまくいってないから悩むんですが。歯車が狂うというか、何かのキッカケで少しでも変わるならそれはそれでいいんですが。一応、監督職なので管理職と一般職との調整役のつもりでいるんですが一番辛い役回りだと痛感しております。

なんか、もう本屋で「いい上司になる為に」とか「部下を振り向かせるには」とかいう本があったら買ってしまいそうなくらい行き詰ってます。まぁ個人的に思うには自分の役割がなんなのかということを理解してそれを実行するというのが会社員に求められる能力なのではないかと最近思っています。空気を読む的なことだろうと思いますが、今の自分の立ち位置を把握するというか。

主体的に考えて動くべき立場なのか、言われた事を無難にこなす事を求められているのかというような事で。ここをこうすればもっと良いのにという意見を言うことは何ら問題ないのですが、必ずしもそうなるとは限らないしならないことの方が九分九厘であるという事を理解した上で仕事に向かうべきだということです。日本の会社組織の一員である以上、協調性が何よりも求められる事をまず理解すべきなのです。

当方もこのことを理解するのに約5年かかりましたが。この間、ある社員と話をしてる時に「うちの会社では言われた事を素直に実行する事が何よりも評価される。だからどういう考え方をするかは自由だけど、如何に納得できない事を実行できるかが求められるスキルだ」と言った事がありました。また、「言われた事を言われたようにするだけでいい。結果責任はお前にはないんだから楽なもんだ。そう考えろ」とも。

結果責任は指示する事業部なり現場の管理職なりで責任を持つはず。そこで責任転嫁される場合があるので厄介ですが、そこを調整するのが自分の役割かなとも。だから立ち位置は一般職に近いはずなんですが、彼らからするとそうではないようで。まぁそこんとこはあまり重要ではないと思います。言われた事を言われたように無難に処理できるか。それが一般職に求められるスキルであると思います。

実際、そういう人から順番に出世していくわけですし。最近の若い世代(自分も含めてですが)を客観的に見るようになって感じるのは、自分が評価される側である事を理解していない人が少なくないように思います。もう自分が社長か役員にでもなった気になっているのではないかと勘違いしそうになることが。個人を大事にする個性を大事にするゆとり教育というものが如何に社会に対して無意味で有害なものであるかが解ります。

主体性を持つ事は悪い事ではありませんが、それを態度に出してしまう人は日本型の会社組織には完全に向いていません。日本は個人主義の国ではありませんし、そういう価値観とは相容れないと最近つくづく思います。調整力と協調性こそ日本の会社員として備えるべき能力ですが、それがことごとく欠けている人が多い事が社会とのミスマッチを生み出しているのでは?と思っています。自分より組織、自分より公という価値観こそ日本だと思います。現実に日本の会社では多くがそうであると思います。

自分で事業を興したり、芸能やスポーツという個人の能力のみで生きられるという特異な人は置くとしても、多くの人は会社なりなんらかの組織に入ってその中で能力を補い合って生活するわけですから、現実的な社会に溶け込みやすい人材の育成を教育現場でするべきでは?国際的にとか云々言う前にほとんどの日本人は日本国内で働き生計を立てるわけですから。一部の特異な人に合わせるより多くの凡人に合わせた教育をすべきですよ。多くの人が一山いくらというレベルなのだから、自分だけは特別だと勘違いさせるのは大いに国益を害すると思います。

現実に企業の現場では、そういう下らない事で能率が下がってるわけですから。まぁそんな当方も新卒の頃は勘違い全開で上から頭を押さえ込まれてそれがストレスになってましたから偉そうな事は言えたもんじゃないですが、現実を直視すればやっぱり日本には日本人を育てる教育こそ必要であるとそう思います。当方のように「いろはのい」を社会に出てから身につけることこそ非効率で何より本人にとって不幸であると思います。

会社の事から教育にまで話が拡大しましたが、やっぱり日本の企業が復活する為には人間教育が不可欠であると最近ホントに思います。